東北地方太平洋沖地震

会社で地震にあう。
会社の放送では震度4、ネットでは震度5弱だったみたい。@神奈川県厚木市
2階ということもあり、ヘルメットをかぶり机の下に隠れたが、それほど揺れなかった。
2度目の大きな揺れの後は外に避難。
外で1.5時間待機。。。
地震以降、携帯は一切つながらなくなった。
こちらの揺れ方から有明にいたオクサマもまあ大丈夫だろうと思った。
むしろ家に立て掛けた状態の自転車の方が心配だった。
この頃はまだそこまで大変な地震であったという認識がなかった。


とりあえず18時の定時まで仕事。
交通機関がマヒ状態。
しばらくは復帰しそうにないのでママチャリを借りて川崎まで35kmを帰るという同期と一緒に帰る事に。
オクサマからメールが届き、とりあえず無事なよう。


国道246号線に出ると、上りも下りも見たこともない大渋滞。
ママチャリと一緒なので、基本は歩道を走行。
青葉台あたりで歩行者が増えてきた。
246号沿いを歩行者が歩いているのは少ないのだが、かなり増えてきた。
新石川あたりであたりは停電。
さらに尻手黒川の5差路でも停電で信号機が機能していないため、警官が手信号で誘導していた。
ここで同期と別れ、家路を急ぐ。


多摩川を越える橋はありえないくらいの人で溢れていた。
東京に入ると、歩道は歩行者で一杯。
車道にまで溢れてきていた。
途中、三茶あたりでマンションの壁が剥がれ掛けて、落下しそうになり、
警官と消防隊が安全確保のためにはしご車で壁を剥がしていた。
渋谷、新宿、池袋は人で溢れかえっていた。
自転車が一番速かった。


いつもなら2.5時間もあれば帰れるのだが、4時間もかかった。
家の外ではプランターは倒れていた。
家に入ると、玄関に飾ってあったトロフィーやメダル、写真が棚からすべて落ちていた。
自転車、KING3がヤバイと思って、慌てて自転車部屋に行くと、自転車部屋は無事だった。
食器は食器棚で倒れていたけど、割れるまではしてなかった。
液晶テレビも台から落ちる寸前のところで踏みとどまっていた。
どうやら東京の方が揺れが強かったみたい。


23時前に奇跡的にオクサマと電話がつながった。
自転車で迎えに行こうかと提案したが、それは不要と断られた。^^;
自転車に迎えに行って、オクサマが自転車、私がランで帰るという作戦だったのだが。
この電話以降はまた電話が繋がらなかった。


結局、オクサマは3時くらいに歩いて帰宅。
地下鉄と10kmくらいの歩きで帰ってきたみたい。
それにしても携帯、役に立たんな。


3時くらいになると、電話ができるようになったので、
小川にもりえちんと、ちゃんと帰れてるかの確認の電話をした。
まあ二人とも職場まで10kmくらいだから、なんとかなっていると思っていたけど。
あと千葉組のオクサマのねえちゃんとオクサマの友達にもどうしてるかの確認をした。
千葉だと帰れてなさそうなので。
とりあえず大丈夫そうなので良かった。