ツール・ド・おきなわ

レース当日。
4:00に自然と目が覚めた。
22:00に寝たので、睡眠不足感はない。
雨はやっぱり降っていた。
あまり寒くは感じなかったが、雨で体が冷えてしまうとダメなので、
スポーツバルムのレッド2を体中に塗りこんでおいた。

5時にタイムさんとロビーで待ち合わせ。
オクサマに130kmのスタート地点まで車で送ってもらった。

移動中はホテルで用意してもらったサンドウィッチを食べた。
6:00にはオクマに着いた。
100円のカッパを着て、準備をした。
6:20にはオクサマにお礼を言い、スタート地点の国頭の道の駅に向かった。

スタートは8:30の予定。
ここから2時間近く待つ。
去年も経験したが、この時間がかなりツライ。
今年は雨のため、アップをする気にもなれなかった。
みんな同じようで、建物の下で待機していた。

みんなアップ不足で今年は序盤はスローペースになるかな。
それだとありがたいが。

去年の失敗を踏まえて、ひたすら補給食を食べていた。
パワーバー1本とスーパーヴァーム缶、ウィダー1つ、カーボショッツ1つ。
これは摂りすぎだ。。。
しかし結果的にはこれが良かった。

トイレには3、4回行った。

雨のせいか昨年のように早い時間からの場所取りがない。
安心していたら、スタート時間が近づいてくると、やっぱり場所取りが始まった。
比較的前の方に取ったが、後からどんどん先頭付近に並べていく。
2回目参加の余裕からか、そこまでは神経質にはならなかった。
去年は神経質になりすぎた。
レース前に疲れてしまった。

結局、スタートは去年よりも少し前くらいに位置できた。
5、60番手くらいだろうか。

予定より大幅に遅れて、市民130kmがスタートした。
雨で落車が一番怖い。
みんな考えることは同じで、恐る恐る走る感じだった。
ここも経験上、集団の中に埋まっていると、
どんどん後ろに追いやられていくことがわかっていたので、
右端から一気に先頭まで出て行った。

最初のトンネルには2番手で入った。
その後も先頭で走る。
2つ目のトンネルに入る前あたりから、ポジション争いが厳しくなる。
右側からどんどん新しい選手が上がってくる。
次第に左側にいる選手は後ろに追いやられていく。
前後左右が詰まっているので、身動きはとれない。
結局2つ目のトンネルに入った頃には20番手くらいになっていた。
前にはタイムさんが見える。
良いポジションにいる。
安全でしかも上りに入るときには先頭で入れるようなポジションだ。

2つ目のトンネルを無事に通過し、いよいよ普久川ダムに突入。
ここには30番手くらいで入れた。
昨年に比べれば上出来だ。
先頭も見える。
アップ不足のせいか、少しキツイ。
心拍も跳ね上がってしまった。
1回目の普久川ダムでの目標は先頭集団を維持すること。
1、2人が抜け出した気がしたが、気にしなかった。
下りでの不安要素もあるので、上りの最後の方では少しペースを上げて、
3、4番手くらいで山岳賞ポイントを通過した。

下りは思いのほか順調。
雨のためにブレーキをかけながらのコーナーリング。
KINGはとても安定している。
安心して、下ることができた。
前には2名ほどパラパラと見える。
後ろもパラパラとついてきているようだ。
去年はここで20人以上に抜かれてしまった。
今年は数人にしか抜かれない。
むしろ抜くこともあった。
大進歩だ。

下り終わった頃には後ろからどんどんと合流して来た。
メイン集団は50人以上いるような集団になった。
横から車が先頭との差を教えてくれる。
先頭との差は30秒〜50秒を推移していた。
何人いたかは不明だが、メイン集団はその逃げを容認した。

私はというと、この平坦区間で補給をするべく、
集団の後ろの方に下がっていた。
正確には左側を走っていると、次第に後ろに追いやられていった感はあるが。
まあ集団の規模の確認やタイムさんが集団に残っているかが
確認したかったのだが。
残念ながらタイムさんは集団にはいなかった。
普久川ダムの中盤付近まではそばを走っていたのは知っていたのだが。

補給に関しては、雨に濡れないようにビニール袋に入れた作戦が大失敗。
雨で手が濡れているので、ビニール袋に手が入らない。。。
中にはソーセージ、チーかま、一口羊羹、一口外郎が入っていた。
なんとかソーセージを1本取り出せたところで、後ろからタイムさんがやってきた。
どうやら普久川ダムの下りで遅れてしまったらしい。
この平坦区間を単独で追ってきたみたい。

私はこの平坦区間でモゴモゴ、ソーセージを食べていた。
なかなか飲み込めなくて、大苦戦。。。
更に咳き込んで、呼吸までできなくなった。

おかげこの平坦区間で、1人だけ千切れそうになってしまった。。。^^;
この補給のせいでかなり無駄足を使ってしまった。
これに懲りて、チーかま、羊羹、外郎の補給はこの後やめておいた。

なんとか自分のペースを取り戻し、集団も長く伸びてしまっていたので、
前の方に移動した。
このタイミングがちょうど良かった。
ちょうどメイン集団は奥のスプリントポイントを通過し、上りに入るところだった。
この上りでメイン集団は分裂した。
私はなんとか前の集団のお尻に残れた。

その後は辺戸岬を通過し、海岸沿いを集団で走った。
集団は縦に長く伸びてしまっていた。

奥の上りでがんばってしまったので、海岸沿いで休憩のつもり。
勝負は2回目の普久川ダムだと決めつけていた。

ここまではとても順調。

しかし実は予定外のことが起こっていた。

1つ目は市民200kmが通過後に市民130kmがスタートしてしまったため、
市民200kmで落ちてきた選手が市民130kmのメイン集団に加わってしまったこと。

2つ目は市民85kmのスタートも遅れてしまい、その直後に市民130kmのメイン集団に通過したため、
多くの市民85kmの選手が市民130kmのメイン集団に加わってしまったこと。

2つの予定外のことが起きたことで、市民130kmのメイン集団は後ろで気づかないうちに、
他のカテゴリーの選手が間に入ってしまい、先頭と距離があいてしまった。

そんな状況で事件が起きた。
トンネル内での落車発生である。
トンネル内の道路の右側では落車が発生し、道が塞がれていた。
私は右側から前へ出ようとしていたので、運悪く右側を走っていた。
落車が起きていることは早い段階から見えていたので、その前で止まれるように減速した。
そこまでは冷静だった。
しかしトンネル内の道路はまるでスケートリンクのようにツルツルだった。
だからみんな落車していたのだ。
わかっていても防げなかったのだ。

私もみんなと同じようにスコーーーンと転んだ。
そして冷静さを失った。
軽いパニック。

やってしまったーーー。
新しいフレームがーーー。
ここでリタイアかーーー。
まだなんとかなるかーーー。
自転車はちゃんと動くかーーー。

多くの事が頭をよぎったが、整理できない。

とりあえず立ち上がり、自転車を持ち上げたが、さらに滑ってこけそうになった。
トンネル内で乗れそうにない。。。
ヨタヨタとこけないように、歩いて進んだ。
ここにいると危険だと思った。
あいかわらず後ろから来る選手は予想外に滑る道路で落車している。

トンネルから脱出し、自転車に乗った。
まだパニックのままだったが、こんなところでやめれないと思った。
このフレームに懸けて。

走りきると決めてからは、変速の調子と自転車の状態を確認した。
変速は調子が悪くなったが、とりあえずは動く。
自転車は乗った際のフィーリングが変わった。
ステムとハンドル、レバーは曲がってなさそうだ。
サドルが曲がってしまったのだろうか。
止まって直そうかと思ったが、メイン集団に追いつこうと思っていたので、
構わず前へ向かった。

そこから右側をガンガン抜いていった。
しかし130kmのメイン集団らしき姿は捉えられない。
85kmの選手や200kmの選手ばかりである。
たまに130kmの選手に追いつくが、どうも前から落ちてきた感じである。

メイン集団を捕まえられないまま、2回目の普久川ダムに入ってしまった。

まだ追いつけると信じて、追った。
差はわからない。
現在の順位もわからなし状態。

前にそれらしい集団を見つけて、追いつくも他のカテゴリーの集団の事が多い。
普久川ダムの後半で200kmの選手に「あと少しで先頭に追いつくぞ。」と声をかけてもらった。
諦めかけていた気持ちを持ち直した。

そして普久川ダムのチェックポイントで審判車から「先頭との差1分。」と教えてもらった。
しかしここからは下りである。
先頭は何人いるかわからないが集団だろう。
私は1人。
圧倒的に不利な状況だった。

しかし諦めずに下りも全開で先頭を追った。

自分が何番手にいるかわかっていなかったが、
リザルトを見るとおそらくここではこういう状況だった。
先頭集団6名 〜1分〜 私1名 〜数十秒〜 第二集団10名程度

1人で先頭を追い続けた結果、第二集団に追いつかれた後、
その第二集団にも残れず後ろにずるずると下がっていった。

先頭を追い続けて、足は残っていなかった。
こうして私の2回目の沖縄の挑戦は終わった。

さらに後からやってきた200kmと130kmの混成集団に乗った。
どうやらこれが足切りタイムをギリギリ通過できる集団だったみたい。
この集団で名護までの50kmを走った。


27位。
これが今の私の力でした。

やはり集団内では前の方にいないと予想外の事に対応できない事を痛感した。

来年は200kmに挑戦しようと思っていたが、
来年も130kmに挑戦しようと思った。
やっぱり悔しいので。